弟が生まれる。

その報せを聞いたグウェンダルの心中は複雑だった。

 

家族が増える。それは一般的に目出たい出来事であり、特にまだたった三十才のグウェンダルならば『弟』という響きに心をくすぐられてもおかしくないところである。しかし今回は、そうした一般的な観念に当てはめて目出たいと称せる状況ではなかった。

なにしろその弟は異父兄弟、母が身元も知れないどこぞの男との間にもうけた子供だったのだ。しかも父親となるその男は、人間だという。愛情と献身を魔族に捧げるグウェンダルにとって、あまり歓迎できる事態ではなかった。

だからグウェンダルは、出産間近との連絡を受けても、ヴォルテール城から祝いの書状を送るのみに留めた。三十才にして既に冷徹との印象を周囲に与えていたグウェンダルであるから、弟の出産に立ち会うためにわざわざ母の元へなど向かわないことは特に不自然でもなかった。

親戚付き合いのように淡々と、弟にも接すれば良い。グウェンダルはそう考えた。混血の弟と懇意にすることで、魔族への忠誠心を疑われたくはない。もっとも、戦時下でもない今現在そこまで過敏になる必要もないと分かってはいたが、とにかくも弟という存在にグウェンダルはそれほど興味をそそられなかったのだ。

 

けれどなんだかんだ言っても、実際に会ってみればやはり、弟という存在は兄の心をくすぐるのが常である。

 

「あにうえっ」

 

ヴォルテール城で過ごすことの多いグウェンダルがたまに血盟城に訪れると、まだ幼い次男は喜んで走り寄ってくる。そうして、兄の後ろをとことこにこにこ付いて歩く。

自分なんかの背中を眺めて何がそんなに楽しいのだろうと思いながらも、グウェンダルは一応黙って歩調を緩めてやる。邪魔になるようなら遠慮なく追い払うつもりでいたのだが、弟はとにかく無害であった。基本的には後ろを付いて歩くだけであるし、兄が自室に戻れば聞き分けの良い顔でお辞儀をして去っていくため個人的な時間を侵害されることもない。仲良くするつもりはないが理由もなく邪険にする必要もないので、兄は弟の好きにさせていた。

いくら兄がそっけなくしていようとも、並んで歩く兄弟は、侍女たちの目には微笑ましく映るらしい。殿下という貴き身分の者に召使いが話しかける機会は本来なら稀であるが、兄弟の幼さによる気安さからか、侍女たちは折々に声をかけてきた。表情をあまり動かさない兄は侍女のどんな言葉にも軽く視線を投げるだけで無反応なのだが、弟は機嫌良く反応を返した。「素敵なご兄弟ですね」と侍女に声をかけられる度、にこにこと笑った。「良いお兄様をお持ちですね」などと言われれば、にこにこ笑ってしかもこくりと頷いた。

兄はその性格上、侍女から朗らかに話しかけられる経験など持ち合わせていなかったから、こうして声を掛けられることは不快ではないがどこか不思議な気分だった。不思議と言えば、この弟もだ。特に何をしてやったわけでもないのに何故ここまで慕われるのだろう。兄という存在にたまに会えることが、無条件に嬉しいのだろうか。何気なく振り返って視線を合わせてみたら、次男は、侍女に向ける笑顔よりちょっと恥ずかしそうににこにこっと笑った。

瞬間、兄の心にある単語が浮かんだ。

が、自分は弟に興味などないはずだと、グウェンダルはその単語を脳から振り払った。

自室に戻って一人になり、少し頭を冷やそう。そう思って、グウェンダルはそこへの近道にと人気のない庭に降りた。そして段差の多い小道を見て、そういえばと後ろの弟を思い出す。次男は年の割には足腰も丈夫で足取りもしっかりしているが、それでもやはり子供、たまに躓いてよろめく姿は危なっかしい。こんな凹凸のある道を歩いては転ぶかもしれない。今ここで追い返してしまおうかとも思ったが、ここ周辺は人気が少なく、一応は殿下である幼い弟を一人にするのは憚られる。グウェンダルは少し悩んだ末、ひょいと弟を抱き上げた。庭を横切る間ぐらい運んでやれば、腕の鍛錬の一環にはなるだろう。兄の目線の高さまで持ち上げると、弟は意外そうに目をぱちくりさせた。そして、本当に嬉しそうに無邪気に、にっこり笑った。

瞬間、今度こそごまかせない明確さで、兄の心に先ほどの単語が浮かんできた。

 

可愛い!

 

それを表情に出すことは決してなかったが、グウェンダルが血盟城に滞在する時間は確実に伸びた。

人間の混血だからなどという理由で可愛い弟に因縁をつける者には、生まれもっての鋭い眼光でもって睨みつけてやる。いかに幼くとも現魔王の息子であり血筋も良いグウェンダルに凄まれれば、大抵の者は黙り込んだ。

ヴォルテール城にいる間ですら、めえめえ後ろをついてくる猫につい弟を思い出し、食事をやってしまったりする。もちろん、ヴォルテール家の冷徹な嫡子として通っている彼であるから、そんな姿を他者には見られないようこっそりとだ。

可愛いものに引かれる自分に戸惑いを感じたりもしたが、一年も経てば開き直った。可愛いものは可愛い。可愛いものは癒される。理屈はどうあれ、実際にそうなのだから仕方ない。こんな自分を今更他者に知られては顔がないから、入念に隠す必要はあるが。

 

そんなこんなで次男は、混血にも関わらず、それなりに優しく温かい幼少時代を過ごした。人間の血を理由に蔑んだりしない貴族達や侍女に見守られ、そして兄にもこっそりと見守られて、次男はすくすくと成長していった。

 

すくすくと。

 

……すくすくと。成長しすぎた、とでも言うべきか。

次男コンラートが十二歳になる頃、その外見は既に純魔族の六十歳に等しいほど成長していた。

薄汚い人間の血が成長を速め、寿命をも縮めるのだ。そう言ってますます嘲笑う者達もいたが、それ自体は問題ではなかった。コンラートも子供なりにそうした陰口に慣れてきていたし、コンラートの人柄を知る者はそんなことで彼を邪険にはしなかった。

しかし、大きな問題が、この兄弟にある意味重くのしかかってきたのである。

 

兄グウェンダル、約四十歳 (外見四十歳)

弟コンラート、約十二歳 (外見六十歳)

 

兄と弟の、外見年齢の逆転。

魔族も百歳を超えれば、二十程度の年齢差で外見に顕著な差は出なくなる。しかし成長期での二十年は大きく、その差は第三者に明確である。

四十歳と六十歳、人間で言えば八歳と十二歳、地球の文化では小学二年生と六年生。実際には、グウェンダルは身長も高く年の割には大人びていたのでもう少し差が縮まってはいたのだが、それでも事情を知らぬ者が見れば全員が全員どちらが兄かの認識を誤るだろうと思われた。

コンラートは気まずかった。初見の他貴族に声を掛けられる際、どうしても、自分の方が長男と間違われて挨拶されてしまう。人前で兄に「兄上」と呼びかけると、不思議そうな目で見られてしまう。別にそれが不快なわけではないし、混血である事情を説明することに躊躇いもなかったが、ただ、それによって大切な兄が気分を害しているのではないかと思うと気がかりでならなかった。少しでも周囲の視線を集めないよう、兄のことを名で呼ぶようになったのはこの頃だ。

また、兄も兄で思い悩んでいた。

と言っても、弟が危惧したような不快感があったわけではない。『異端』である弟とは違い非の打ち所のない兄は、弟と間違われようとも常に堂々としていた。

苦悩していた理由は別のところにあった。兄にとってはゆゆしき事態であった。

 

可愛い弟に、癒されないのである。

 

コンラートは父似で地味ではあるが、今現在の幼さを残した顔立ちは可愛いと称するに遜色ない。ちょっと申し訳なさそうな瞳で「グウェンダル」と名で呼ぶ様子も、どこか小動物のようでなかなかに可愛い。

可愛い、のに何故癒されないのか。可愛くないのか? いや、可愛い。しかし猫ちゃんの可愛さとは違い癒されない。

何故だ。グウェンダルは苦悩した。そしてある日、ようやく思い至った。

 

大きなものには癒されない!

 

偶然か必然か、そんな兄弟の葛藤も長くは続かなかった。その頃から、兄弟は必要時以外あまり顔を合わせなくなったのだ。別にこの件が原因で仲違いしたわけではない。魔力のない弟は剣の道を志し、その鍛錬に時間を割くようになり、兄は兄で本格的に政務を学ぶため、血盟城に来られる時間が減ったのだ。どうしても兄に気を遣ってしまう弟にとっても、弟の成長にちょっぴり傷心の兄にとっても、距離を置くことは結果的に悪くはなかったようだった。

弟はこの後、人間の父と共に、シマロンへ旅立った。

そしてヴォルテール城で日常を過ごすようになった兄は、弟の代わりと言うには語弊があるが、別の小さくて可愛いものに癒される日々を送るようになった。

 

「グウェンダル! 新しい発明が出来ましたよ、さあ御覧なさい!」

 

小さくて可愛い幼馴染だ。

正確には癒されているかどうかは微妙だが、可愛く見上げてくる瞳はかつての弟を思い起こさせて和む。可愛く見上げてこられる限りは、ちょっとしたことならなんでも許そうという気になってしまう。

 

やがてグウェンダルが成長し高い魔力を得て、めでたくアニシナのもにたあと認識されるようになると、彼は新たな和みを求めてあみぐるみに手を出し始めたり、こねこちゃん喋りに目覚めたりするのだが、それはまた別の話。

 

 

 

 

 

 

 

 

「グウェンはー、なんで小さくて可愛いものが好きなの?」

 

若き魔王陛下が、書類に署名する手を止めて、頬杖を付きながら可愛らしく問う。

グウェンダルは少し顔を上げて、仕事をしろ、と視線で威圧する。しかし魔王は疲れてしまったのか、「教えてくれたっていいじゃんかー」と机に伏してだらだらするのみだ。そもそも、グウェンダルが可愛いもの好きであることは公然の秘密であるはずなのに、それを本人の前で堂々と言ってしまう時点で、相当に疲れている証拠である。

傍に控えていた魔王の名付け親が、優しく微笑しながら主の体をそっと起こした。

 

「ほらユーリ、もう少し頑張って。書類が待ってますよ」

「……グウェンが可愛いもの好きの理由教えてくれたらやるぅ……」

 

護衛は仕方なさそうに笑って、名付け子の頭をぽんぽんと叩いた。

 

「あとこれだけ終わったら、飲み物と菓子を持ってきますよ。それで、隣の部屋で休憩にしましょう。あと少し、ほら」

「うー……」

 

休憩につられてか、魔王はのろのろと仕事を再開した。

グウェンダルも、それを見届けてから視線を下ろして仕事に戻る。次男が勝手に休憩を決めてしまったことはまあ良い、どうせ今の状態の魔王では仕事の能率は上がるまい。しかし休憩のためにわざわざ隣室へ移動するということは、次男はきっと「駄目ですよ、グウェン本人にそんなことを聞いては」とでも魔王を嗜めるつもりなのだろう。ついでに、「好きの気持ちに理由なんてないんですよ。俺があなたを想う気持ちに理由がないようにね」なんて囁くつもりかもしれない。なんだか容易に想像できてしまい、グウェンダルは溜め息を吐いた。

 

魔王の質問には答えられない。すっかり可愛くなくなったこんな弟が可愛いもの好きの原点だなどと、どんな顔をして言えたものか。