「国境へ向かえと……?」

 

新魔王陛下を地球から眞魔国へ呼ぶ予定日の、五日前。

コンラートはグウェンダルから、国境付近へ向かうようにと指示された。

 

「離反者アーダルベルトが国境に近付いて、なにやら画策しているとの情報が入ったのでな。あの付近にはお前が贔屓にしている人間の村もあることだ、警備にはお前が適任だろう。そのままそちらで、新陛下を迎える際の国境警備兵の統率も兼ねてもらいたい。行ってくれるか?」

 

コンラートは表情には出さずに苦悶した。

五日後に、陛下を王都へと呼ぶのだ。これまで十五年間、その日をどんなに待ち望んでいたかしれない。それなのに今から国境でアーダルベルトの警戒に当たるとなると、数十日は帰って来られず、その間は陛下にも会えない。

少しだけ了承の返答が遅れたのも、無理からぬことだろう。しかしコンラートに選択の余地はなかった。

 

「……分かった。行ってくるよ」

 

新王の来城に備え、現魔王ツェツィーリエとそれに近しい者―――― グウェンダル、ヴォルフラム、シュトッフェルなどが、現在血盟城に集っている。コンラートもその一員であり、本来なら他の用事に優先して血盟城に滞在し、新王を迎えるはずであった。

しかし今回のアーダルベルトの件については、コンラートが向かうしかなかった。

この任には、剣の実力・兵を統率できる身分・人間に対する好意、の三つを備える者が向かうべきなのだ。

 

剣の実力、これは当然である。アーダルベルトは有数の剣の使い手であり、その警戒に当たっては、対抗し得る剣士が向かわなければ話にならない。

兵を統率できる身分。国境付近に配置する兵士の統率も兼ねているし、それでなくとも警備にリーダーは必要だ。

そして、人間に対する好意。問題の場所は人間の村が近く、必然的にその村で宿を借りることになるだろう。しかし純魔族のほとんどは人間に対して良い感情は持っておらず、魔族が人間に土地を恵んで成り立っているその村の存在を歓迎していない。その村に泊まるだなんてとんでもない、近付くことすら厭うだろう。

 

身分を持つ者のほとんどは純魔族であり、人間を嫌悪している。

人間に好意的な者のほとんどはハーフであり、身分を持たない。

すなわち、今回の任に適する者はコンラートしかいないのである。

思えばコンラートは、眞魔国の長い歴史上で見ても稀な立ち位置にある。殿下という身分を持ちながらハーフであり、人間に対して好意的なのである。

コンラート自身も自らのその微妙な立場を意識しており、軍籍を退いてからも、『人間』の関わる任には剣士として進んで協力している。魔族が嫌々ながら人間に接するような機会は、出来る限り減らしたい。魔族と人間とが歩み寄ることのできる時代は、もう少し先だ。

しかしそのために、十五年間ずっと待っていた彼に出会える日が、先延ばしになろうとは。

 

「どうしましたコンラート。浮かない顔をして」

 

馬の準備をするコンラートに声をかけたのは、ギュンターだった。

穏やかなポーカーフェイスを保っていたつもりだったコンラートは、少なからず驚いた。こんな微細な表情の揺れに気付くとは、さすが剣の師として何十年もコンラートに接してきただけのことはある。

 

「もしかしてグウェンダルは、あなたを国境へ向かわせることにしたのですか」

「ああ。すぐにも行くように言われてね」

「五日後には、新陛下が王都にいらっしゃるというのに……」

 

ギュンターは、自分のことのように表情を曇らせてみせた。

 

「私は反対したのですよ、こんな特別な時ぐらいは誰か代わりになる兵士を向かわせようと。今からでも遅くはありません、グウェンダルに交渉してみましょう」

「代わりになる兵士なんていないだろう。人間を嫌う者を、強引に向かわせるのは得策じゃない。その点、新魔王を迎えるのには俺が必須というわけではないからな、どちらを優先すべきかは明らかだ」

「しかし、元殿下である貴方が、陛下をお迎えした夜に催される晩餐会にも参加できないだなんて。今回ばかりは強引にでも、他の者に頼むべきだと思うのですが」

「魔族が人間に対して嫌悪感を増す機会は、出来る限り減らしたいんだ。それに……」

 

陛下に早く会うためだけにそんなことをしてしまっては、陛下や陛下の魂に対して示しが付かない。

 

「……行き場のない人間にあの土地を貸そうと、強く推したのは俺だ。その責任がある」

 

ギュンターは少しだけ呆れたような溜め息を小さく吐いた。

 

「何十年付き合っても、あなたという方の理解には苦しみます。人間にも国民にも過剰に肩入れして、まったく…。ツェツィーリエ陛下の退位が決まってからというもの、あれほど新陛下がいらっしゃるのを心待ちにしていた様子でしたのに、それもあっさりと諦めてしまうなんて」

 

コンラートは、参ったなと肩を竦めた。

 

「いや、充分に理解されてる気がするよ」

 

陛下の来るその日を楽しみにしていたコンラートの様子に気付いたのは、ギュンターとヨザックぐらいのものだろう。

 

 

 

 

「コンラート閣下、東端は異常ありません」

「了解。引き続き警戒を頼む」

 

あれから五日、国境付近に大きな変化はない。

しかし、コンラートが例の人間の村に到着した数日前に、何者かが村に侵入していたらしい。アーダルベルトの差し金か、それとも村を襲おうと画策する何者かによる下調べか、いずれにせよ特定を急ぐべきだろう。

また、アーダルベルトは新陛下に関する情報(彼が何も知らず異世界で育てられたということ、そして最近になってこちらへ呼び出されることになったこと)をどこかの伝で知ったらしい。それが今回国境へ近付いてきた理由だとしたら、陛下を狙っている可能性も考慮して警戒を強めねばなるまい。

剣を携え、今日も国境付近をゆっくりと歩いて見回りながら、コンラートは空を見上げた。不思議なほどに雲一つない快晴、陛下を迎える日に相応しい青空だ。

この世界には時計だなんて便利なものはないが、太陽の位置でそれを把握する術をほとんどの者が身に付けている。今頃は、陛下が王都に呼ばれている時間だ。

ぐらりと、コンラートの内側の何かが揺れた。今にも馬を走らせて王都に駆けつけてしまいそうになる。

十五年間も待ったじゃないか、とコンラートは自分で自分を宥めた。そう、十五年も待った。この任を終えて王都に戻れるのがいつになるのだか正確には分からないが、それでも百日とはかからないだろう。百日で陛下に会える。十五年に比べて、たった百日。あっという間じゃないか。

そう、今きっと陛下は、俺と同じ青空を見ている。俺と同じこの世界の、この国の空気を吸っている。それだけで充分じゃないか。

ヴォルフラムとグウェンダルは陛下を歓迎しないだろうが、ギュンターのフォローが入るだろうから、今夜の晩餐会も大丈夫だろう。何も心配はないじゃないか。

何度も何度も自分に言い聞かせて、警備に集中しようとする。けれど溢れ出す衝動は、次第に明確さを増していく。

………会いたい。

 

一瞬、胸の魔石が熱を増した気がした。

そんなはずがない、とコンラートはそれを錯覚だと思うことにした。魔石が、持ち主の状態によって不思議と温度を変えるという話は、魔石の前の持ち主から聞いている。しかし魔力を持たぬコンラートは、そんな温度変化を体験したことは一度たりとない。

魔石で思い出して、コンラートはまた青空を見上げた。魔石の色とよく似た、青空。再び湧き上がる衝動。

 

…………会いたい。

 

「閣下ッ! コンラート閣下、骨飛族を通して至急の連絡ですッ」

 

酷く焦った様子で、部下の一人が駆けてくる。

 

「どうした」

「陛下がっ……魔王陛下がッ、王都ではなく、この、この付近に!」

 

 

全力で馬を走らせながら、コンラートは自分が都合の良い夢を見ているのではないかと何度も思った。もしくは何者かが自分を騙して遊んでいるのではないかとすら思った。

陛下がいる。ずっと待ち望んでいた陛下に会える。この付近にいる。

馬の駆ける蹄の音、流れていく景色。部下の数人はコンラートの速度について行けず、引き離されていく。

しばらく後、遥か遠くに、アーダルベルトと他の人間、そして黒を纏った人型が見えた。こんな現実が本当にあるのかは分からない。

コンラートは確かめるように小さく、誰にも聞こえないようにその名を呟いた。

蹄の音と、流れていく景色が消える。真っ白な闇の中に、黒い人型だけが明瞭に浮かび上がる。

胸の魔石が、熱を増した。これは現実だ、俺がユーリを間違えるはずがない。

今度は大きく、誰もに聞こえる声でその名を叫んだ。

 

「ユーリ!」

 

 

 

陛下を王都へと送る間の護衛として、コンラートは国境を離れることになった。

多少は国境の警戒が緩むことになるが、陛下の御身が第一であるし、追い払ったアーダルベルトがたった数日で戻ってくるとも思えないから大丈夫だろうという判断だ。

本来なら陛下に会えない歯痒さを数十日も味わうはずが、一転、陛下に一日中つきっきりの権利を得てしまったわけだ。

無事ギュンターと合流し到着した人間の村の家、コンラートは戸口の脇で腕組みをして壁にもたれかかり、ゆっくりと目を閉じた。そうして、ギュンターと陛下の会話を聞く。陛下の声を、脳に焼き付ける。

ギュンターは、陛下がここへ呼ばれた経緯を説明していた。

 

「…で、おれは便所穴から異世界につづくトンネルを通って、あの山道に落ちてきたわけね」

「そうなのです。計算では国内の、それも王都の範囲内にお呼びできるはずでした。しかし余分な力が加わったのか、国境を外れた人間どもの村に」

 

余分な力、か。

もしかしたら自分の陛下を想う気持ちが強すぎて、それが何か影響を及ぼす力になってしまったのではないかと、コンラートは声には出さずに笑った。あり得ないことは分かっている、コンラートには魔力がないのだから。

魔石はただ、コンラートの体温を反映して温まるのみだ。